Ryusei&Co Official Siteつれずれなるままに弾き語り

つれづれなるままに弾き語りの旅

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Ryusei&Co.プロフィール

本名:右田達郎(みぎた たつろう)
福岡県宗像市出身
慶応大学文学部中退
ボーカル・ギター・作詞作曲。 
100mを10秒台で走り、垂直跳びも1m超とオリンピックをも目指せるほど類い稀なる身体能力があり学生時代はバスケットボールの選手だった。個人賞受賞、九州大会にも出場している。 
※小学生の頃、見様見真似でバク転が出来てしまうほどで体育の成績は小学校から高校まで常に5。
​ちなみに、音楽の成績はほぼ2。
怪我のため、スポーツの道を断念し音楽の道を志す。ギター1本抱えて上京。
大手プロダクションに役者としてスカウトされるが「俺はミュージシャンやけん!」と、若手の独特のもの知らずで断ってしまう。
現在の所属事務所に在籍する際、名前を竜男(たつお)と勘違いされるという手違いにより「RYU」という芸名になる。
期間限定の三人組コーラスユニット”there's something there"に参加。「A Day of Merry Christmas」をリリース。

縁あって映画や舞台などで役者としての活動も行う。
主な出演作
フィレンツェ歌劇場「トゥーランドット」出演 演出:チャン・イーモウ
映画「仔猫の涙」出演 監督:森岡利行 主演:武田真治・広末涼子
※撮影現場で主演の武田真治と間違われたというエピソードを持っている。
慶応大学文学部入学。勉学のためしばらく活動を休止するが2009年より再び音楽活動を再開。
2010年、事務所の先輩であった森下康生と”KOSEI&RYU’を結成、活動を始める。
同年4月、『日本列島縦断弾き語りの旅』と称して「移動はヒッチハイクか徒歩、その日の食費は歌って稼ぐ」と云う過酷なルールのなかギター1本抱え日本全国を歌で旅をして来た。東京を出発し東北全県、北は稚内、南は九州を周り野宿をしながら各県の老人ホームや児童養護施設を回り大変喜ばれまたその事が話題となりテレビ・ラジオ出演や新聞にも度々取り上げられる。旅の中間地点でミニアルバム「日本列島縦断弾き語りの旅」を作成。インディーズからCDデビュー。
後半の旅の途中で東日本大震災が発生。
お世話になった方々が被災。旅を中断し震災の翌日より西日本、九州を中心に支援活動を開始。テレビ、ラジオ、ストリートライブを通じて募金活動や支援をよびかける。
出演料や集まった義援金は全て直接各被災地へ届け、歌は勿論物資や炊き出しの支援などで被災地全県を回る。
これを機にアーティスト達で復興支援団体「あおぞらプロジェクト」を設立。
全被災地を回り様々な支援活動を行う。
旅中、日本の原風景や日本人の温かさに触れ、書き上げた『この国に生まれて』が、NHK紅白歌合戦の復興支援枠出場候補に選ばれ、様々なイベントに出演。
主な共演者
西田敏行・石井竜也・松崎しげる・湯川礼子・松本伊代・早見優・さとう宗幸・稲垣潤一・永島敏行・山寺紘一など
2014年4月、世田谷線と仙石線をテーマに歌った曲『晩夏光~ぼくの過ごした町~』を発表。
同時にユニット名を‘Ryusei&Co’ に変更。
「流星」の様に輝き(略して)「りゅーこー」=「流行」を作っていく、またCo.はカンパニーの意でスタッフやお客さん、関わってくれる全ての人がRyusei&Co.のメンバーだという思いが込められている。
改名を機に始めた三軒茶屋キャロットタワー最上階でのレギュラーライブ「絆ライブ」は人気を博した。
2016年、「晩夏光」がゆうせん放送のヘビーローテイションに選ばれ、メジャーデビュー目前であったが、
KOSEIが家庭の事情で広島へ帰ることになり、解散。
新しい相方を見つける案もあったが、デュオスタイルでの相方はKOSEIしかいない、と固辞。
最後の「絆ライブ」は50キャパの会場に100名を超す応募があり入場規制必要なほどだった。
時同じくして、父親が膵臓癌で余命宣告を受ける。闘病サポートをするため、自身の音楽活動を休止。
まもなく父が他界。追い打ちをかけるように祖父も他界。
※活動休止中、「音楽村」のマネージャーとして青少年の育成や地域文化の向上にも尽力、世界的に活躍するミュージシャンたちとも共演。
2018年、本名で活動するか、RYU名義で活動するか、新しい芸名で活動するか…色々迷ったが、支えてくれた全ての人に感謝を込めソロミュージシャン「Ryusei&Co.」として活動再開。​
現在、西日本豪雨災害支援ライブツアー【絆ライブ】~つれづれなるままに弾き語りの旅~の真っ最中!!


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